今日は、2.26です

事件概要
二・二六事件 - Wikipedia
大日本帝国陸軍内の派閥の一つである皇道派の影響を受けた一部青年将校ら(20歳代の隊付の大尉から少尉が中心)は、かねてから「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに、武力を以て元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が収束すると考えていた。彼らはこの考えの下、1936年(昭和11年)2月26日未明に決起する。
将校は近衛歩兵第3連隊、歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、野戦重砲兵第7連隊らの部隊を指揮して、岡田啓介内閣総理大臣、鈴木貫太郎侍従長、斎藤實内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監、牧野伸顕前内大臣を襲撃、総理大臣官邸、警視庁、陸軍省、参謀本部、東京朝日新聞を占拠した。
その上で、彼らは軍首脳を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えた。しかし軍と政府は、彼らを「叛乱軍」として武力鎮圧を決意し、包囲して投降を呼びかけた。反乱将校たちは下士官・兵を原隊に復帰させ、一部は自決したが、大半の将校は投降して法廷闘争を図った。事件の首謀者は銃殺刑に処された。

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この事件の当日も東京は雪だったそうです。

この事件の背後関係だとか事件の本質・収束状況を、小父さんよく理解できないです。
普通言われているように、この事件から軍部の独断行動が目立つようになり支那事変から太平洋戦争(第二次世界大戦)へと軍部の暴走が始まったことは、事実のようです。
近衛の若手将校が中心で兵を率いて立ち上がり、首都の主要機関を占領して背後(黒幕)の軍の大物を動かして陛下に直訴したかったのですね。国を思う純粋な気持ちで立ち上がり、彼らからすれば腐敗極まりない政治家と軍幹部を糾弾したかったのでしょう。首都占領後の動きがぎこちないですね。

この事件より少し後の1940年代になるとドイツを中心にした枢軸国が欧州で戦闘行為に入ります。日本人は、意外とこの時期の欧州の動きに鈍感で、第二次大戦に突入してゆく欧州事情に少し無関心すぎたのではないでしょうか。松岡洋右をベルリンへ派遣してヒットラーと会談させているようですが、駐英大使の重光葵という大物がいながら内戦後のフランコ率いるスペインと共産ソ連を絡ませた欧州(ドイツ)事情に疎かったのではないでしょうか。
日本を太平洋を挟んでUSAと戦争させれば、ドイツはソ連英国を倒せるとヒットラーは考えたのかな。


このあたりを小説にした、逢坂剛の長編「イベリア」シリーズが第7弾の「さらばスペインの日々」で完結しました。第1弾の「イベリアの雷鳴」はすごく以前の作品で(10年以上)記憶が不鮮明になっていますので現在完結を期にもう一度読み返しています。
少し前に同じような種類の「水色の娼婦」を読んで興味を呼び戻されていましたので、この時期の欧州事情に新たに興味がわいてます。

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この記事へのコメント

2014年02月26日 23:50
2・26事件もいろいろな小説があるけど、作家によって見方が変わりますね。
それだけ、見えていないものがおおいのかな
2014年02月27日 09:05
彼ら若手将校は国を愛する真摯な気持ちで「昭和維新」を考えていたのではないのかな。

中国大陸とその周辺の対日関係ばかりで日本の(軍部)行動を考えがちですが、対米英の世界大戦へ巻き込まれた理由はもっとグローバルに考える必要があったのだと思ってます。
対共産主義(ソ連)と各国との信義なき条約や、日本が太平洋・東南アジアで対英米戦を起こせば誰が(どの国が)得をするのかなどまで考えないといけないようです。

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